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海からきた観音さま

心(こころ)やさしい武士(ぶし)の西忠次(にしちゅうじ)
西忠次の夢枕(ゆめまくら)に立(た)った観音(かんのん)さまは…。
今(いま)も残(のこ)る井田観音(いだかんのん)にまつわるお話(はなし)です。

井田観音(いだかんのん)

今からおよそ七百五十年もの昔(むかし)のことである。  熊野(くまの)の国、七里御浜(しちりみはま)に面した井田(いだ)村に、西忠次(にしちゅうじ)という武士が住んでいた。


井田観音(いだかんのん)

忠次は勇気があり、心やさしい人がらで、井田の村だけでなく、七里御浜ぞいの村むらの人たちからも“西殿(にしどの)”と呼(よ)ばれ、したわれていた。
ある夜、ねむっていた忠次は、ふと自分の名を呼ばれた気がして目を覚ました。  床(とこ)の上に起きあがり、あたりを見回すと、部屋のすみに光り輝(かがや)く観音さまが立っていた。


おどろく忠次に、観音さまは、  「お前は、武士でありながら、村人のために悪いやつを追いはらったり、貧しい人びとを助けたり、よくつくしている。その心に感じるものがあるので、西方浄土(さいほうじょうど)より私(わたし)がお前の家に行き、お前とお前の家族を守ってやることにした。

私を大切にまつる心があるなら、御浜にすぐに出向き、私を迎(むか)えなさい。間もなく浜(はま)にたどりつくだろう」  そいいおわると、ふっと姿を消してしまった。  忠次は、そのまま飛び起き、身を清め、新しい衣服に身をかため、七里御浜にかけつけた。

七里御浜の中でも、井田の御浜は、石浜が左右に広がり、その前はさえぎるものひとつない大海原(おおうなばら)となっている。
忠次がなぎさに立って、はるか海の彼方(かなた)をながめていると、沖(おき)の方から、光り輝く観音さまが、忠次の立っている場所へすっと流れ寄り、思わず手をのばした忠次の腕(うで)の中へ、すっぽりとおさまった。
高さ三十センチメートルほど、金色まばゆい、みごとな観音さまであった。 海から来た観音さまをだきかかえて家にもどった忠次は、屋敷(やしき)の中にお堂を建て観音さまをまつり、一家と村人の守り仏とした。


この観音さまに参れば、病気や災害から守ってくれるというので、七里御浜ぞいの村むらや熊野三山へ巡礼(じゅんれい)をする人びとからも、井田の観音さまとしたわれ、信者が年を追って増えていった。

それからというもの、毎年、初午の日(はつうまのひ・旧暦二月)の大祭には奥熊野(おくくまのじゅう)中から人が集まり、お堂の前の巡礼坂(じゅんれいさか)の道は、露店(ろてん)でうめつくされるようになった。

海からきたという井田観音さまは、七百五十年後の今でも、丘の上の小さなお堂の中で、静かに七里御浜に続く海原(うなばら)の彼方(かなた)にあるという西方浄土をのぞんで、立ち続けている。

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